浅田真央&浅田舞 生出演・姉妹が語る! (2008/7/7)
浅田真央・浅田舞姉妹の生出演インタビューの動画です。映像は中京テレビ「リアルタイム」で放送されたものです。
浅田姉妹が、今年行われるアイスショー「ザ・アイス(The Ice)」で披露する姉妹ペアプログラムについて語ります。後半は中京テレビ恒例、「浅田姉妹○×クイズ」。浅田姉妹の考えが一致しているかを確認していきます。

第一子:建て前派。風格がある。

中間子:気配り派。お調子者。

末っ子:手抜き派。仕切られ上手。オーケストラ団員に多い。

一人っ子:本音派。一人上手。ソリストに多い。

世界ではO型が最も多く、人類の基本はO型からスタートしたといわれています。
日本の場合はまず3万年前のモンゴロイドの大移動が関係します。
古モンゴロイドはO型を持ち、南方の島伝いに、また当時は地続きであった朝鮮半島から日本に流入し、ひとつの基層を形成したと考えられています。
次に1.5万年位になると新モンゴロイドが樺太・北海道から日本列島に流入します。新モンゴロイドはバイカル湖周辺で誕生し、血液型はB型と考えられています。
最後に5千年位前から、稲作の技術とともに南中国から血液型A型の人々が北九州方面から入ってきたと考えられています。
http://www.geocities.jp/rootsdiscovery/bdr2.html より
荒海や佐渡によこたふ天河
元禄2年7月7日、新潟 直江津の句会で発表。
朝からの雨で夜も星が見えなかった。
この句は七夕の夜の実景を見て作られたのではなく、
荒々しい秋や冬の日本海に浮かぶ佐渡を思い浮かべて作られた句であるという解釈もなされている。
流刑の地佐渡、旅人の芭蕉。
でも、会ったときにいい人って思った人がいちばんいい」

1年前の七夕は姉妹でアイスショーでした。

健気で強い子のように見えるけど
どこか
儚さも秘めていて
いつか
天に帰ってしまうのではないかと
織姫のように
健気で強い子のように見えるけど
どこか
儚さも秘めていて
いつか
天に帰ってしまうのではないかと
織姫のように
血液型性格分類(けつえきがたせいかくぶんるい)とは、
血液型と人の性格との間に特定の関連性を見出し性格を分類しようとすること、およびそのような分類が可能であるとする説のこと。あるいはそのような見解に基づいた様々なコンテンツのこと。
現在の血液型性格分類は数々の非科学的な出版物により一部の者に信じられているが、
科学的検証では性格や気質と血液型との意味があると思われる関連性は全く発見されていない。
日本を始め、欧米諸国では、そのような血液型性格分類は全く支持されていない。
当初は日本人の医学者、教育学者、心理学者などによって、新しい学説の候補として提案されたが、その後にその妥当性を巡って学会で議論が起き、紆余曲折を経た後、学会で否定された。
だが、この説を説く一般向けの本が多数出版されたことや
日本のマスコミにより繰り返し流布されたことによって、
日本、韓国、台湾等一部地域で、それを信じる人やそれを信じているかのような言説が増えた。
それらの国々では「血液型」は今や経済的価値を生み出すコンテンツの一種となっており、無数の関連商品及びソフトが市場に流通している。
血液型と性格との間に特殊な関連を設定した統計的な検証も行われてはいるが、そのような関連を裏付けるような統計データは得られていない。
科学的な根拠が存在しないにも関らず、一部の人達の間で科学的な説として扱われることがあるので、今日では疑似科学の1つにも数えられる。
血液型性格診断の発端そのものが統計学的にも科学的にも崩壊しきったものであるため、今日の血液型気質の信憑性があることは先ずありえない。
血液型性格診断の発端そのものが統計学的にも科学的にも崩壊しきったものであるため、今日の血液型気質の信憑性があることは先ずありえない。
またAとBのアルファベットを持つためAB型は二重人格でAとBの間など、ABOの文字に対する感覚で分類がおこなわれており、すでに科学理論としての体裁を放棄しているが、かといってAB型独自の性格を創作すればいいという問題でもない。
このため疑似科学どころか迷信に近いものである。
また、社会心理学では、血液型気質相関説をとりあげ、このような説が社会に流布してしまう仕組みや、このような説が流布することによって人々の認知にどのようなひずみが生じるのか研究している論文などが活発に書かれている。
しかし、こうした学問の世界での検証結果や研究成果はなかなか一般世間には伝わっておらず、最近までテレビ番組等のマスメディアにおいて話題としてさかんに用いられていた。
また、今でも世間ではABO式血液型と性格を関連付けて語る事が一時の興として行われていたりする。
だが、これらは不当な偏見や差別その他の様々な問題を生む要因を孕んでいるとして、問題視されている。
以上、Wikipedia 抜粋
気をつけたいですね。
血液型性格分類とは、迷信に近いものである。
日本を始め、欧米諸国では、そのような血液型性格分類は全く支持されていない。
にもかかわらず

日本のマスコミにより繰り返し流布されたことによって、
日本、韓国、台湾等一部地域で・・・
このような説が社会に流布してしまう仕組み・・・
学問の世界での検証結果や研究成果はなかなか一般世間には伝わっておらず・・・

大小を問わずジャーナリズムは企業である。
早い話が商売である。
まい「きがきくよりもね」
>5. Posted by 織姫さん
血液型占いをされて百年の恋も冷めたという友人も、織姫と彦星にはロマンを感じているそうです(笑)。
冷めて然るもの
愛に優るものなし

PS (笑)は小バカにしている(笑)ですか
あまり好きではないかも。。。。
Time is the great quther, always writes the perfect ending.
時は偉大な作家だ。つねに完璧な結末を書く。


>4.
>まお「会ったときにいい人って思った人がいちばんいい」
気乗りしない見合いに出かけたところ、相手が予想に反して素敵な人で即プロポーズ・・・そういう友人がいました。
浅田選手はいい線いってます。

http://www.youtube.com/watch?v=oMTZ-y64mKA
わが情報はいくらあっても肝心なことは書かない。
それをかいつまんで言うのがジャーナリストの務めなのに、言ったためしがない。
「映画「東京裁判」を見る」より
余程いいことがあったような・・深くは聞きません・・軽く流してください
「数年前に、わたくしはスケートを辞めようか悩んだことがありました。・・ママもコーチも心配して大騒ぎになりましたが、真央だけは違いました。
・・舞がスケートをやめたいなら、やめていいんだよと優しく言ってくれた。
・・誰より大切な自慢の妹。世界中に誇りたい気持ちです。
・・
辻井伸行さんの母、いつ子さんの手記も・・
良い判断は無分別な親切に勝る。
I always have a wonderful time, wherever I am, whoever I'm with.
私は何処にいようと、誰といようと、いつも素晴らしい日々を過ごしています。

舞さんと真央ちゃんは七夕をどこで誰と過ごしたのでしょう。
屈託のない笑顔を見て、急に皆に会いたくなりました。
おかしいですね。
一般的に急な血圧低下による立ちくらみを脳貧血、略して貧血と呼ぶこともあるが、医学的に貧血とはまったく異なるもの。
赤血球は血流に乗って酸素を全身に運ぶ働きをしており、これが足りなくなると十分な酸素を運ぶには血流量自体を増やしたり、呼吸量を増やすことで代償しなくてはならない。すなわち、動悸・息切れがみられる。特に、代償の限界を超える運動時にこれらの症状が強くなる。 しかし、貧血が徐々に進行した場合には特に自覚症状も無い場合も多い。
(Wikipedia抜粋)
浅田姉妹の笑顔は天下一品
こと座の1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星(織女星)として知られている。
織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。
夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座のアルタイルである。
夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。
めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。
このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができた。
しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができない。
星の逢引であることから、七夕には星あい(星合い、星合)という別名がある。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれている。
古典文学として上記のようなストーリーとなった七夕説話であるが、長い歴史の中で中国各地の民話として様々なバリエーションを生じるに至った。
Wikipediaより
「世の中はめく●千人目明き千人」
世の中には無知な者もたくさんいるが、眼識を備えた者もかなりたくさんいる。
塙保己一(はなわほきいち)という人のことは別なのよ、彼は全盲の凄い努力家で凄い業績があって
「番町で目あきめくらに道をきき」
という、彼の素晴らしさをうたった川柳があります。
健康や美容などを目的として、食事の質・量(カロリー、食材の種類・バランスなど)をコントロールすることである。
語源は『ギリシア語のdieta(生活様式、生き方)』からという説と、『英語のdie(死ぬ)+eat(食べる)からなる造語』という説がある。
英語辞書では、dietの定義を『食物、(日常的な)食事、餌』としている。
加えて、diet control、diet therapyの略語として、『食餌療法(のための規定食)』という意味も指す。
従って「虚弱体質改善のためのダイエット」、「高血圧の治療の一つとしてダイエットをする」などと使用するのが、単語の定義からすれば正しい。
日本では、元々医療用語として英語の用法に倣った意味で使用されていたが、一般にはこの語が「減量のための食餌制限」として限定的に使用されることが多く、また「痩せる」という部分のみに注目されて変質した「ダイエット=減量・摂生」という意味で誤用され、英単語の意味とは乖離した和製英語と化している傾向にある。
まいちゃん、まおちゃんが誤用してたら、大人のせいね、外国に行った時はダイエット中の人を誤解しないいように、ね
人生は恐れを知らぬ冒険か、無か。
アン・サリヴァン
ヘレン・ケラーとアン・サリヴァンの半生は " The Miracle Worker"『奇跡の人』として舞台化及び映画化されており、日本でも何度も上演されている。
"The Miracle Worker"には「(何かに対して働きかけて)奇跡を起こす人」といった意味があり、アン・サリヴァンのことを指すが、日本ではヘレンのことと誤解され、「奇跡の人」がヘレンの代名詞として用いられることも多い。
ヘレン・ケラーは幼少時より「塙保己一を手本にしろ」と両親より教育されていて、昭和12年には来日し、記念館を訪れている。
この『史料』編纂の事業は紆余曲折があったものの東京大学史料編纂所に引き継がれ、現在も続けられている。同所の出版している『大日本史料』がそれである。
『群書類従』の版木を製作させる際、なるべく20字×20行の400字詰に統一させていた。
これが現在の原稿用紙の一般様式の元となっている。
Wikipedia
これでは何のことかわかりませんね。
ヘレン・ケラーが手本にしたという国学者
塙 保己一(はなわ ほきのいち)
江戸時代の国学者。『群書類従』『続群書類従』の編纂者。
7歳で失明。母の死の三年後、15歳で江戸へ出て盲人の職業団体である当道座の雨富須賀一検校に入門、按摩・音曲などの修行を始めた。しかし生来不器用でどらちも上達せず、絶望して自殺しようとしたと伝えられる。
保己一の学才に気付いた雨富検校は、保己一に様々な学問を学ばせた。
保己一は書を見ることはできないので、人が音読したものを暗記して学問を進めた。
明和6年(1769)に晩年の賀茂真淵に入門。
天明3年(1783)に検校となり、寛政5年(1793)、幕府に願い出て和学講談所を開設。
ここを拠点として記録や手紙にいたるまで様々な資料を蒐集し、編纂したのが『群書類従』。
また歴史史料の編纂にも力を入れていて『史料』としてまとめられている。
生家は国指定遺跡で、記念館も置かれている。墓所は東京都新宿区若葉の愛染院。
塙保己一史料館・温故学会(東京都)
http://www.onkogakkai.com/
自己実現理論(じこじつげんりろん)
アメリカ合衆国の心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。又、これは、「マズローの欲求段階説」とも称される。
アブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908 - 1970)
人間性心理学の最も重要な生みの親とされている。これは精神病理の理解を目的とする精神分析と、人間と動物を区別しない行動主義心理学の間の、いわゆる「第三の勢力」として、心の健康についての心理学を目指すもので、人間の自己実現を研究するものである。
人間は満たされない欲求があると、それを充足しようと行動(欲求満足化行動)するとした。その上で、欲求には優先度があり、低次の欲求が充足されると、より高次の欲求へと段階的に移行するものとした。また、最高次の自己実現欲求のみ、一度充足したとしてもより強く充足させようと志向し、行動するとした。
1.生理的欲求・・・生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的な欲求
2.安全の欲求・・・衣類・住居など、安定・安全な状態を得ようとする欲求
3.所属と愛の欲求・集団に属したい、誰かに愛されたいといった欲求
4.承認の欲求・・・自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める欲求
5.自己実現の欲求・自分の能力・可能性を発揮し、創作的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求
マズローは、欠乏欲求、成長欲求を質的に異なるものと考えた。
この欠乏欲求がかなりの程度満たされると、終局的に自己実現の欲求が現れるという。
自己実現を果たした人の特徴として、客観的で正確な判断、自己受容と他者受容、純真で自然な自発性、創造性の発揮、民主的性格、文化に対する依存の低さ(文化の超越)、二元性の超越(利己的かつ利他的、理性的かつ本能的)などを挙げている。
自己実現を果たした人は少なく、さらに自己超越に達する人は極めて少ない。
数多くの人が階段を踏み外し、これまでその人にとって当たり前だと思っていた事が当たり前でなくなるような状況に陥ってしまうとも述べている。
晩年には、「自己実現の欲求」のさらに高次に「自己超越の欲求」があるとした。
この考えが、後のトランスパーソナル心理学の源流ともなる。
「マズローの欲求段階説」は、人間性心理学や動機づけの理論を進展させたと評価されているが、個人的見解あるいはごく限られた事例に基づいた人生哲学に過ぎず、普遍的な科学根拠や実証性を欠いているのではないかという疑問も呈されている。
例えば、欠乏欲求が満たされていても、成長欲求の満足を求めず生活の安定を求める労働者の例がある。
しかしこれは、欠乏欲求が十分に満たされていない(十分に自尊心が育まれていないなど)ために、自己実現の欲求が現れていないとも考えられる。
すぐに思い出すのが地球物理学者、竹内均さん。
彼は東大退官後、「報恩」という言葉を使いました。大学ではいやがうえにも他者と競うことから逃れられない・・・、退官して初めて。可愛らしい竹内先生の顔が今でも。
「Newton」編集長をもっと続けて欲しかったけど、「自己超越」の人。

〜「待つ」「聴く」を排除する近代社会〜
「待つ」こと、「聴く」ことができない社会になってしまった。
かつて待つことには文化的な価値があリ、人間にとって大きな徳目の一つとされてきた。
しかし近代社会が成り立つにつれ、その徳目が否定され、待つことの意味が評価されなくなってきてしまった。
待つこととは、目標への最短距離を進まずにじっとしてみたり、とりあえず成り行きを見守ることを意味する。
このごろは、子育てや家族関係といった個人の生き方にまで「最短距離と最速
で目標に到達しよう」という考え方が浸透してきている。由々しきことだ。
聴くことや待つことは、我々の人間関係の中で大きな意味をもつ。
本気で人の話を聴くというのは大変なことだ。特に心に大きくダメージを受けた人の話を聴くのはなおさらである。人の話を聴くためには、まず相手が話したくなるまで待ってあげなければならない。何か訊ねたり急かしたりすることなく、ただ相手の語りを聴く。それが大切なことなのだ。
人が何かを語る気になるまでには、長い時間がかかる。
そういう大事なことがまったく評価されないのが現代社会だ。
聴くことや待つことが評価されない社会とは、実は大きな問題をはらんでいるのではないだろうか。
聴いたり待ったりすることが、受身のたやすい行為だと考えてはならない。それは一番大変で、なおかつ大事な仕事なのである。
なぜ聴く、待つといったことが社会から失われてしまったのか。
それは、今の社会が偶発性や偶然性を恐れているからだと思う。
偶発性や偶然性を恐れる社会とは何か。
それは想定外のことができるだけ起こらないようにする社会である。
すると、子どもは親のイ
メージ通りに育つのが一番いいことになってしまうだろう。
親の想定からちょっとでもはずれれば、「それはダメだ」と修正してしまう。
それでは、子育ての楽しみなどちっともない。親が想像もしないような方向へ子どもが育っていくのが、子育てのおもしろみというものだ。
本来の子育ての楽しみとは、親が思いもしなかったように子どもが育っていくことだ。
偶発性、偶然性こそ創造性の源なのである。
ところが、子どもが言うことを聴かなかったり、自分のイメージ通りに育たないとすぐ親が規制しようとする。
子どもが思いもよらぬ方向へ化けていく楽しみを、かつて学校の先生はよく味わっていた。しかし、最近は先生まで子どもを型にハメて最短距離、最速で目標へ到達させようとしている。
子どもはいろいろなことを経験しなければいけない。
先生は、後で責任を問われることを恐れ、親の意向に沿ってガードに回る。
その結果、偶発性や偶然性という創造力の源がカットされていってしまう。
思いがけないきっかけで子どもは大きく育つものなのに、これではおかしな話だ。
企業であれば生産量を増やし、コストを下げ、利潤を上げるという合理性で動こうとする。だから、企業は数字至上主義という評価に馴染む面がまだある。
だが、学問や教育といった文化的な分野にもそうした評価が貫徹されるのはまずい。
ある目標設定をし、期間内に目標を達成できたかどうか。そのことがいつも至上価値であるわけではない。
ふてくされていたりおもしろくなさそうな顔をしている生徒にただ「がんばれ」「大変なことを乗り越えなければならない」と言えばいいというものではない。聴くということは、とにかく一度相手の思いを肯定してあげることだ。
「君の考えていることはわかった」といったん受け入れてあげる。相手の意見を否定するのは、聴くこととは違う。
また、励ます=聴くではない。
おしゃべりしている間に、いずれ当人で道筋を探していくだろう。そう信じ、人の話を聴き続け、待ってあげる。
そうした辛抱強い実践のなかで、おのずと人の士気は高まっていくものだと思う。
人が納得し、底力を発揮するまで待ってあげる。
そのためには、相手にイニシアティブ(主導権)を渡さなければならない。
親や先生であれば子どもを、経営者であれば従業員を信じてイニシアティブを預ける。
自分がイニシアティブを独占しない。
こうした姿勢がホスピタリィの根底にある。
「かわいい子には旅をさせよ」という古い言葉は、まさに子どもにイニシアティブを託すことだ。
昔の人は待つことができたので、子どもに細かいアドバイスを与えることなく一度突き放す。
愛してる子を、敢えてケアせずいったん突き放してみる。
他人にもまれながら、自分で考えさせる。
毎日ご飯を食べるのがどれだけ大変なことか。毎日家で寝られることがどれだけありがたいことか。
そういうことを、自分で苦労して納得するまで待ってやるのが「かわいい子には旅をさせよ」という言葉の本来の意味なのだ。
ヨーロッパの伝統文化で昔から人々が最も戒めてきたのが「傲慢」である。
その反対である「謙虚」のことを英語で‘humility’という。
‘humility’と‘humanity’(人間性)、この二つの言葉の語源は、ラテン語の‘humus’(腐植土)である。
自分は地面で肥やしとなり、人に花を咲かせてあげる。
「人間性」という言葉の語源が「腐植土」であるというのは、すごいことだと思う。
また、‘attendre’(待つ、期待する)というフランス語は、英語の‘attend’(同伴する、お世話する)と語源が一緒だ。
人に花をもたせてあげる、相手を立ててあげるために、イニシアティブは相手に預けて自分はホスピタリティに徹する。
つまり「待つこと」が、ホスピタリティ(人を温かくもてなし、歓待すること)の根幹にあるのである。
‘independent’(自立した、独立した)という英語は、‘dependent’(依存している)という語の否定形だ。
この言葉を、私はあまり好きではない。どんな人も、他人に依存したり頼ったりしなければ生きていけないからだ。
生まれたばかりの子どもは、完璧に二十四時間要介護である。赤ん坊は、一人で眠ることも風呂に入ることもできない。やや皮肉な言い方だが、人間の一生は介護生活から始まり介護生活で終わる。
「他人に依存しない」=「自立、独立」ということでは決してないと私は思う。人間である限り、完全に一人だけで生きていくことなどありえない。
‘inter-dependent’(相互依存、つまり支えあい)の関係を保ち、自分が人を支えるだけでなしに、人から支えられることも当たリ前だと考えるべきだ。
人の力を借りずに、一人でなんでもやれる。そんな人が強いというわけではない。
いざというときに、頼りにできるネットワークをたくさんもってる。
そういう‘inter-dependent’の人間関係を保ちながら自立している人が、本当は一番強い。
‘inter-dependent’の理想は、ジャズのセッションのような形だ。
ジャズでは、それぞれの楽器の担い手が交代でソロを務める。
ほかの音楽では前面に出ることがないベースさえ、主役をやらせてもらえる。ベースが主役になるときは、ほかの楽器はバイプレーヤー(脇役)になる。つまり互いに花をもたせ合う。
一人が全部メロディラインを独占せず、誰かが合図をすれば交代でスポットライトを当て合う。
お互いが聴いたり待ったりするジャズのセッションのような形こそ、民主主義の理想的な人間関係だと私は思ってる。
>「なぜ人は待てなくなったのか」
哲学者 鷲田清一先生の専門は臨床哲学、倫理学。
2006年から大阪大学総長。4年の任期で何をされるか・・・2008年から総長メッセージをビデオ配信しています
開かれた大学を目指して、全国の大学に頑張って欲しいですね。
(ファン歴X年)
ようこそ総長室へ
www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/president
「めいわくかけてありがとう。」 (2009年9月)
「World Wide Views in JAPAN」 (2009年7月)
「O+PUSについて」(2009年6月)
「プライドについて」 (2009年4月)
「責任を負う?」 (2009年2月)
「年のはじめに」 (2009年1月)
「ロボット演劇」 (2008年11月)
「『生まれる』という言葉」 (2008年10月)
「外国語を学ぶ意味」 (2008年8月)
「不完全であることの創造性」 (2008年7月)
「21世紀懐徳堂」 (2008年6月)
「リベラルということ」 (2008年5月)
「カタチから入る」 (2008年4月)
「キャンパスをタウンに」 (2008年3月)
「問いの発見」 (2008年2月)
「みおつくし」 (2008年1月)

(ファン歴X年)

www.youtube.com/watch?v=io1o1Hwpo8Y
まお「あったときにいいひとって」
あは、橋本聖子さんに会ったんだあ。
お父さんのスパルタ教育に耐えて花を咲かせた人。
マオのアスリート魂を理解できないはずがないよね。よかったね!

(ファン歴X年)
うーん、この方は自分で朗読されてますね。感謝。
21世紀に生きる君たちへ

www.youtube.com/watch?v=T3q9NiwPZOI
(ファン歴)
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